ニューヨークでホームレスとして生活した日本人境セイキが見て感じたありのままのアメリカ
by seikisakai
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境セイキ著 扶桑社刊
宮本亜門氏感動!
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元ニューヨークホームレスの眼


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# by seikisakai | 2007-07-12 22:49 | 『ニューヨーク底辺物語』
Happy Mothers Day
b0073406_12593152.jpg



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# by seikisakai | 2007-05-13 13:00 | ボーカンシャ
〓〓〓ようこそ。 はじめておこしくださった方へ〓〓〓
よかったらここからのぞいて見て下さい。
このブログについて     僕、境セイキのプロフィール
あしあと帖です。
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# by seikisakai | 2006-12-24 11:09 | ボーカンシャ
感じるの
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# by seikisakai | 2006-11-27 03:55 | ボーカンシャ
人の住むところ(2)
b0073406_1151252.jpg

<前回よりの -つづき->
 探していない自分に気づいた。もうかれこれ数時間も窓の外に流れる風景は変わり続けているのに。そういう自分がまだどこかに残っていたことにもビックリする。
 そこは砂漠のど真ん中。しかし砂漠という言葉から真っ先に連想されるどこまでも続く砂丘ではなく、ゴツゴツした岩山があちこちでげんこつを振りかざし、その隙間には立ち枯れた木に混ざって草花も咲いている。うちわのような手のひらを広げた背の低いサボテンたちもあちこちにはいつくばり、生きているのか、死んでいるのかさえわからないような色をした雑草が地面をおおう。木だってはえている。それには葉っぱもついてはいるけれど、色艶が悪くみずみずしいと言う言葉からこれほど縁遠い植物を見るのも初めてだ。それでもみんなが生きようとしている。力がみなぎっている。そこから感じ取ることができるのは死ではなくて生にかけるひたむきなエネルギーだった。
 それでもやはりそこは砂漠であることに変わりはない。
 探していなかった。そう、やはり僕はカセットコンロの「カチ、カチ、カチ……」といった音がよく似合うひ弱な都会のキャンパーに過ぎない。

 それでも「車をとめてくれ!」と叫びたくなる衝動を何度も何度もおさえていた。それほど砂漠はエネルギーと魅力に満ち溢れている。そこは何万年もの間、気の遠くなるような数の生を飲み込み土深くにそれをたたえているからなのかもしれない。何万年もにもわたって風のみに削られてきた山肌がなまめかしいカーブを描く。その肌に触れてみたい。そこに一日中腰を下ろして風の音を聞いていたい。
 砂漠にはそんな魅力がつきまとう。そんな妖しい微笑みにそそのかされて命を落とした人もまた多いのだろう。
 
 間違いなく地球上で一番苛酷な環境のひとつに数え上げられるであろう砂漠。そこには生気が満ち溢れ、生きる人もまたいる。
 コンクリートの砂漠。そして砂漠。


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# by seikisakai | 2006-06-15 11:55 |
人の住むところ(1)
b0073406_1257639.jpg「にーちゃんな、なんばしよっよね(お若いのないをしてるんだい)?」

 仕事を終えてから出発したキャンプ。キャンプ場に着い時にはもうとっくに午後十一時をまわっていた。手際よくテントを張り、飯の仕度に取りかかる。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」
 闇に消えていく小さな音。その音に反応でもしたかのように隣のテントからオッチャンが出てきた。そうは言っても、たぶんいまのぼくとそう変わらないくらいだったと思う。それだけ僕が若かったということ。川から鍋に水をくんできてレトルトのご飯とカレーを放り込みカセットコンロの火を点けたところだった。
 キャンプが好きだ。

 キャンプが好きだからホームレスになったわけではなく、僕の場合もご多分にもれずホームレスになったからキャンプ生活を送っていただけ。約六年間を都会のキャンパーとして送った。それは長いと言えば長く、短いと言われればそう言えないこともない。どうだっていい。
 そんな暮らしをしていたせいか、それとも身体の奥深くに眠っているキャンパーの血が騒ぐのか、ここ数年どうしようもない習性を自分が持っていることを感じる。いつだって、どこにいたってそいつは頭をもたげてくる。なにかを探している。探したからといって<どう>なるというわけでもなく、するわけでもないのだけれどいつもキョロキョロしている。
 止まらない。習性とは本当に怖いものだ。


 マンハッタンを歩いていても、日本へ行っても、ヨーロッパをうろついていても僕の目はたえずそれを探している。
「どこかキャンプができそうなところはないかな?」
 とりわけ木が目に入るとその感覚が鋭くなる。
「あそこは斜面だからよくないな」
「水はけが悪そうだ」
「今の季節はいいけど、葉が落ちてしまったら丸見えだな」
 僕の中で木とキャンプは直に近い形で結びついている。
「ニューヨークでテントを張れる所は?」ときかれたら
「まず木を探してみるといい」、一瞬の迷いもなく答えることと思う。探せばまだある。もちろん私有地に属するのだけれど。それがブルックリンやクィーンズであればよりどりみどりだ。なんせ僕のホームレスの生活のほとんどは、ビルの軒下でもなく、段ボールでもなく、シェルターでもなかったから。もちろんそれらも一通り経験はしたけれど、やはりメインはテントだった。

(つづく)


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# by seikisakai | 2006-06-01 13:09 |
人の住むところ(1)
b0073406_1257639.jpg「にーちゃんな、なんばしよっよね(お若いのないをしてるんだい)?」

 仕事を終えてから出発したキャンプ。キャンプ場に着い時にはもうとっくに午後十一時をまわっていた。手際よくテントを張り、飯の仕度に取りかかる。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」
 闇に消えていく小さな音。その音に反応でもしたかのように隣のテントからオッチャンが出てきた。そうは言っても、たぶんいまのぼくとそう変わらないくらいだったと思う。それだけ僕が若かったということ。川から鍋に水をくんできてレトルトのご飯とカレーを放り込みカセットコンロの火を点けたところだった。
 キャンプが好きだ。

 キャンプが好きだからホームレスになったわけではなく、僕の場合もご多分にもれずホームレスになったからキャンプ生活を送っていただけ。約六年間を都会のキャンパーとして送った。それは長いと言えば長く、短いと言われればそう言えないこともない。どうだっていい。
 そんな暮らしをしていたせいか、それとも身体の奥深くに眠っているキャンパーの血が騒ぐのか、ここ数年どうしようもない習性を自分が持っていることを感じる。いつだって、どこにいたってそいつは頭をもたげてくる。なにかを探している。探したからといって<どう>なるというわけでもなく、するわけでもないのだけれどいつもキョロキョロしている。
 止まらない。習性とは本当に怖いものだ。


 マンハッタンを歩いていても、日本へ行っても、ヨーロッパをうろついていても僕の目はたえずそれを探している。
「どこかキャンプができそうなところはないかな?」
 とりわけ木が目に入るとその感覚が鋭くなる。
「あそこは斜面だからよくないな」
「水はけが悪そうだ」
「今の季節はいいけど、葉が落ちてしまったら丸見えだな」
 僕の中で木とキャンプは直に近い形で結びついている。
「ニューヨークでテントを張れる所は?」ときかれたら
「まず木を探してみるといい」、一瞬の迷いもなく答えることと思う。探せばまだある。もちろん私有地に属するのだけれど。それがブルックリンやクィーンズであればよりどりみどりだ。なんせ僕のホームレスの生活のほとんどは、ビルの軒下でもなく、段ボールでもなく、シェルターでもなかったから。もちろんそれらも一通り経験はしたけれど、やはりメインはテントだった。

(つづく)


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# by seikisakai | 2006-06-01 12:57 |
火の用心
b0073406_15185159.jpg「……」
 こんな気持ちでしばらく歩き続けている時がある。それはニラ玉を食べた後の感覚にも似ている。奥歯の間にニラがはさまっているような。
 なにをやっても今ひとつ集中できない。「ニラがはさまっている」、「奥歯にはさまっている」、とわかっているのであればまだいいのだけれど。

 車を停めイグニッションを切る。
「おっといけねー」、携帯を探し始める相棒。
外も車内も華氏百度(摂氏二十八度)に近い暑さで、ボンネットの上に冷凍ピザを置いておけば数分後には間違いなく食べごろになっているだろう。そんな中で「ゴソゴソ、ゴソゴソ」がまだ続く。たとえそれが生ぬるくても、空気が動いているということはやはりありがたいことだ。そんなことを考えている間に長い時間が過ぎてしまったような気がする。時計を見る気すら起こらない。空気が肌にまとわりつきはじめた。
「あった、あった。OKだ。もう大丈夫」
 店内は寒いくらいに冷房が効いていた。自動ドアを背にして数歩。彼の動きが一瞬止まった。気づいたみたいだ。以心伝心。二人ともやっと頭が正常にはたらきだしはじめていた。
「いけねー」
 昨日、相棒は車の中に鍵をつめ込んでしまった。

「エーッと、たしかココだよな?」
 途中から気にはなっていた。手が自由になった途端にポケットの中をまさぐってみる。硬いものが指先に触れてひと安心。後始末もOK。
「なんだペーパータオルが切れてるじゃないか」
 炎天の下で自転車に乗っているので髪が悲惨なことになっている。濡れた手でなんとかまとめて外に出た。紙なんてなければないで平気なもんだ。もう汗が噴出しはじめている。自転車のロックをはずすのすらもどかしい。
 スピードが出はじめた自転車は軽快に角を曲がった。
「……」
 数ブロックを走ると赤信号に引っかかり木陰に身を寄せる。どこからかあの感触がにじみ出てきた。ニラ玉を食べた後の感触が。落とした目の先でチャックが大口を開けて笑っていた。
 
 一番大切なことはなにをおいても最初にすること。ほかに気をとられないこと。
 自分の中で「<その時>なにが一番大切であるか?」、その判断を瞬時に下すことのできる人ほど失敗は少ないはずだ。簡単なことのようであるけれど、なかなか難しい。僕程度の人間は失敗をくり返しながら、百からひとつのことでも学ぶことができれば上出来のほうなのだろう。

 なにをやっても学ぶことができるのは得なようでもある。そう考えることにしよう。学ばないよりはましだ。そうでも考えていなければやっていられない。

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# by seikisakai | 2006-05-27 15:19 |
まだまだ遠い
"Fb0073406_13292757.jpgort Worth 186mile”
 車で移動しているとこんな文字が飛び込んでくる。そこではいつも引き算がなされ、あたりまえの話だけれど車が進むにつれて数字は減っていく。ただ、うっかり目的地を通り過ぎてしまってもマイナス表示になることはない。近郊でのマイナス表示はかなり喜ばれると思うのだけれど。

「あと○○マイル、×時間か……」と、いやでも考え、計算し、時間のこと、疲れ具合、休憩のことなどあれやこれやと考えてしまう。
 起点が違うのだからハイウェイ上にある表示を足し算にすることはできないのはわかっている。それでも引き算は苦手だ。いっそのこと、
<全然>、<まだまだ>、<そろそろ>、<あと少し>という風に変えてくれないものだろうか?引き算が苦手な人は結構いるはずだ。

 加えて僕の場合はそのマイル数に1.6をかけなければならない。かなしいかな数字が飛び込んできた瞬間にかけ算がはじまる。キロに換えなければいまだに「ピン」とこない。引き算はきらいなのだから「ピン」となんてこなくてもいいのにあとひと手間かけてしまう。そこがまたかなしい。
 この国ではいまだに長さ、重さ、容積の単位を世界標準(?)にあわせない。と、言うよりも「あわせることができない」らしい。十数年前に聞いた話では、
「今、これをすべて換えるとなるとアメリカの国家予算の数年分の出費になる」ということ。中でも軍事関係に占めるものが莫大な額にのぼるらしい。
 そんなこととはまったく関係のない次元で生きている。それでもやっぱりこの尺貫法は「ピン」と来ない。大好きなビールですらいつもとは違うサイズを買う時は
「さて、どっちを買ったほうが得だろう?」、とoz(オンス)をccに置き換えねばならず、そこで一瞬だけ頭も身体も別の動きを失ってしまう。
 温度の計算となるともっと大変で、かけ算あり、わり算あり、引き算ありで、一瞬だけ寒いのか、はたまた暑いのか感覚までが停止してしまう。不快な温度というのは暑い、寒いの二つしかこの世にはないのに「それがどの辺に着地するのか」見極めずにはいられない。数字に感覚が振り回される始末。しかも持って生まれたものとは違った単位を示された場合には、そこで処理までしなければいけない。
 この度量衡変換に振り回されているかぎり、アメリカ人的な発想をすることはおろか、その思考を理解しようなんてのはまず無理な話。僕は正真正銘の日本人であり、それでいい。まぁ、数の論理でいけばこちらの方が世界標準ではあるのだけれど、やはりこの国で暮らすのにはかなりのハンディとなる。むこうさんは「こっちが標準だ」と思っているのだから。そもそも「唯一絶対のものさしを持とう」なんて考えるところに無理がある。あちらにも、そしてこちらにも。はたして標準、基準というのはそこまで必要なものなのだろうか?

 ものさしはたしかに便利ではある。それを使えば話は簡単だ。それでも、なんでもかんでもものさしではかる必要があるのだろうか?周りを眺め回してみると、すべてがすべて、と言ってもいいほどにものさしに引きずりまわされている。必要でないものまでも、とりあえず「はかってみなくちゃ」とものさしをあてなければ納得できない自分がいる。ものさしを使っているつもりが実は振りまわされていることのほうが多かったりする。
 人の数だけ存在するものさし。それを統一することは、なんでもかんでもそれをあててみることは必要だったのだろうか?暑い、寒い。遠い、近い。好き、嫌い。かっこいい、かっこ悪い。美味い、不味いではだめだったのだろうか。僕たちが好きな、<そこそこ>や<ぼちぼち>では通用しないのだろうか?通用することがそこまで大切なことなのだろうか?ものさしににあててみなければ人々は納得すら出来なくなってしまったのだろうか?伝える技術が低下してしまったのだろうか?
 無数の点は遠くから見れば線になり、線からは無数の点を作り出すことが出来る。

 最近では、アメリカのものさしは決していいことではない場合が多い。「俺が正義だ」というものさし。世界に通用することのないものさし。ただ、その半面でいまだにに尺貫法を使っているこの国は世界に「ものさしはひとつではない」ことを皮肉にも教えてくれる。


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# by seikisakai | 2006-05-25 13:29 | アメリカ
経済対策
b0073406_030418.jpg「ほんとにものわかりのいい人たちだ」
 そんな声がどこからか聞こえてくるようだ。

 150年くらい前に門はたたかれ、そして開かれた。いや、こじ開けられたと言った方が正確かもしれない。果たしてそれがよかったのかどうか。わかっているのは、それ以来 -ほんの数回の例外はあるけれど- ごり押しをはねつけることが出来なくなっている。

 僕がアメリカに来た1980年代なかば、それは日本のバブル経済が最高潮に達した頃だった。一方、この国の経済はどん底。
「おいおい冗談だろ。0.××%かよ」
 耳を疑ってききなおしたことを覚えている。銀行預金の利息の話。世間では対米貿易黒字国の筆頭として僕の母国はたたかれていた。
「もっと規制を緩和せんかい!」
「内需を拡大したほうがいいんとちゃうの?」
 門はたたき続けられる。そんな恐喝まがいの外交が今でもあちこちで繰り広げられている。それこそが彼の国の人が言う「強いアメリカ」の姿なのだろうか?

 一方、母国のほうでは、小泉さんをはじめとする人々が<協調>の名のもとに一肌も、二肌も気前よく着物を脱いでいってくれるのだから「よっ、色男。日本一!」とかけ声のかいもあるというものだろう。
 ほんとうによくやってくれていることと思う。日本人の肌に合わないこと、文化になかったことも含めて。たしかにそこからなにかが生まれることはあるけれど、同時になにかを失う。そのどちらが大切か時間がたたないとわからない。わかっているのは器に入れることの出来る水の量は決まっている、ということだけ。昔から日本人は形を変えて吸収するのがうまかった。それは決して鵜呑みにしてこなかったということの裏側でもある。今はどうなんだろう?
 それでも日本でアメ車が爆発的に売れる日は来ないと思う。ちなみに、僕が今同乗させてもらっている車の燃費はがガロンあたり12マイル(ハイウェイ走行時)。1マイル=1.6キロ、1ガロン=3.8リットル、1ドル=112円、ガソリン1ガロンあたりの値段=3ドルとすると、リッターあたり5キロ強。100円で走ることのできる距離は6キロ弱ということになる。単純に計算すると僕の生まれ故郷大牟田市から福岡市まで(約80キロ)のドライブを楽しめば片道1300円強。もしかしたらこの値段を安いと見る人が今では増えているのかもしれない。
「修理してからさー、燃費がよくなったんだよなー」、相棒は機嫌がいい。なぜか憎めない人。

 こういう僕もこの旅では内需の拡大に協力したり、また多くの恩恵にあずかったりしている。
 モーテルやツーリストインフォメーションでは複数枚の地図をもらう。
 モーテル備え付けの石鹸はまだまだ使えるのに後に残して次の目的地へと向かう。
 コンビニやファーストフードへ行けばナプキン、塩、コショウをはじめ、マヨネーズ、マスタード、ホットソースをたんまりといただいてくる。
 冷蔵庫のないモーテルではビールを冷やすために湯水(?)のように氷を使う。
 数え上げたらきりがない。内需の拡大のなされていない国で旅をするのは、身の回りのことを考えてみただけであれやこれやとやることが増えてしまう。それは前回のヨーロッパの旅で実証済み。結果として真夏にあたたかいビールを飲むことに慣れてしまった。それはそれでおいしく、やはりアメリカで飲むのとはまた違った味がする。そして、たまに飲む冷えたビールのなんとおいしかったことか。
 たしかに内需の拡大はその恩恵にあずかるものにとっては便利だ。アメリカでホームレスがまだまだ暮らしやすい理由のひとつとしてこれをあげることも出来るだろう。それでもこの言葉は「無駄づかい」という言葉がきれいな着物をまとっているのに過ぎない。

 視点を変えてみればゴミのポイ捨てだって内需の拡大に貢献していることになる。それがゴミを掃除するという仕事を生み、雇用の拡大につながるのだから。

 ヨーロッパで会った日本人がこんなことを言っていた。
「最近、短い旅行では下着をはじめかなりのものは使い捨てですよ。なんでも100円ショップでそろいますからね……」
 いやいや、どんなにコピーがお家芸の日本人でもしょせん本家本元には太刀打ちできない。数日前、それを再認識させられる出来事があった。
「あ、もうこれいいや」
 モーテルをチェックアウトする朝そんな言葉が耳に入ってきた。今まだ詰め込んでいた手が逆回転を始めた。かばんの中から次から次へとと洗濯物を放り投げる相棒。まだまだ使えそうなものばかり。まさに<放り投げる>という言葉がぴったりと来るようなやり方だった。またたく間に彼が唯一持っているかばんは小さくなっている。洗面所横には内需の拡大が広がっていた。冒頭の写真はその一部。
 やはり年季と常識とスケールが違う。しょせん僕の内需の拡大なんておままごとみたいなもの。

 先日、日本へ帰った折に母が妙なものを引っ張り出してきた。それは僕が幼稚園時代に使っていたモッキンだった。
「これ覚えてる?」
 横浜に住む姉の家ではこうきかれた。指先は脱衣所にある足ふきマットを指している。なにかなつかしいような図柄だった。それは僕が高校のクラブ活動の時に使っていたタオルにまちがいない。
 まだまだ内需の拡大はできていない。そのほうがいい。


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# by seikisakai | 2006-05-21 00:30 | アメリカ