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ニューヨークでホームレスとして生活した日本人境セイキが見て感じたありのままのアメリカ
by seikisakai
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境セイキ
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『元NYホームレスの眼』
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《ボーカンシャ》
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ボーカンシャ(名) ①ボー(っと)観ている人。【傍観者】と書くこともある。 ⇒境セイキ ⇔当事者。 ②ボーッと感謝する人、暴漢(者)、防寒車ではない。 ③あまりジロジロと見てほしくない人。見てもいいからつべこべ言わないでほしい人。時として、「お前はなんなんだ!?」と胸倉をつかんで叫びたくなる相手(イライラはよくない)。
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 このブログの話をもらった日のこと。
「《ニューヨーク》からどんな言葉を思い浮かべるか?」
 久しぶりにそんな問いを自分にぶつけてみた。即座に出てきたものは<欲望>という漢字。転瞬、僕は頭の中にあるボロボロの簡単和英辞典のページを繰る。
 <want><need>
 なぜか
 <want><hope>
 ではない。<欲>と<望み>なのに。そんな言葉たちが頭の中でリンクしている。こういった思考になってしまうのが、させてしまうのがこの街ニューヨークなのかもしれない。

 もう使い古された言葉になってしまったけれど、元ライヴドア社長の堀江貴文さんは
「お金で買えないものはない」、と言ったとか、書いたとか。
 その解釈や善悪はどうあれ、的確に今の時代を、その潮流を、多くの人々の望むところを言い当てている言葉ではある。<勝ち>や<負け>、それらは単なるひとつの結果に過ぎない。欲望の時代。ニューヨークはそのヘソにある。

 欲望を満たすためには多かれ少なかれ当事者でなければならない。たとえ<おいしいところどり>をするにしても、その一瞬は当事者でならなければなにも手に入れることは出来ない。この街へやって来るほとんどの人は当事者であろうとする。そんな人たちを呑みこんでこの街はどこまで巨大になり続ける。
 こう言う僕も十年程前までは当事者であり、当事者であろうと思い、そしていくつもの欲望に向けて行動を続けていた。一時にすべてを失うまでは。

 それは1996年、四年前のハローウィーンだった。僕はホームレスになった。

 そしてその生活が約六年間続くことになる。

 当時はもちろんのこと、ホームレスをやめてからもこんなことを考えたことはなかった。ただ常に違和感がつきまとっていることに気付いてはいたのだけれど。
「なんなんだこれは……?少し視点がズレてしまったのか?」
 それはほとんどのものを一時に失った時に手に入れたものかもしれない。頭をよぎった言葉《ボーカンシャ》。

 同じ物を見ても当事者の目に映るものと《ボーカンシャ》のそれではまったく違ったものであることを感じる。「ズレ」と感じていたのはきっとこれだったのだろう。約65億人を越す人達が住むと言われるこの地球。ほんのひとつかみの《ボーカンシャ》がいても悪いことはないだろう。そいつがなにかを喋ったっていいだろう。そこにもまた間違いなく世界はあるのだから。

 四年前にホームレスをやめた。
 ここでも僕はもう当事者ではなく《ボーカンシャ》になってしまっている。そしてそうなってしまった僕に残されたものは?
 不思議な話だけれど(当然の帰結かもしれない)、それは極めて薄くなってしまった『欲』だった。そんな自分に事あるごとに気付く。しかしそれを0(ゼロ)にすることはできない。
「生きていきたい」という根本的欲だけはあるから。そこから様々な欲が派生してくるのは当然のこと。快適につきあえる程度の欲。
 どんなに偉いお坊さんでも(たぶん<断食>という状況下でも)欲を捨て去ることはできないと思う。生ある限り食欲と排泄欲だけは切り離すことは不可能だろう。そんなお坊さんとはまったく別な場所にいる僕にとってできることと言えば
「余分なものをしょいこまない」ただこれだけ。
 僕のような人間にとって徹底的な《ボーカンシャ》になることは無理な話。それでもあとしばらくは似非《ボーカンシャ》として生きていきたい。この道もまた険しく、遠いことだろうけれども。

 そんな《ボーカンシャ》が見て感じること。ニューヨーク、人、社会、そして僕自身のことをしばらくの間ボヤイていこうと思う。
 当事者は声高に叫び、《ボーカンシャ》はボヤク。



<need>が<hope>へと変わるまで僕はニューヨークに居続けるのだろう。それよりもこの街が変わってしまう方が先かな?
 常に変貌の中途にある街、ニューヨーク。
《ボーカンシャ》_b0073406_1427236.jpg

○この記事を読まれてなにかを感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。



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by seikisakai | 2006-04-08 06:45 | ボーカンシャ
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