ボーカンシャ ~『ニューヨーク底辺物語』とそのまわり~
2007-07-13T01:51:28+09:00
seikisakai
ニューヨークでホームレスとして生活した日本人境セイキが見て感じたありのままのアメリカ
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『ニューヨーク底辺物語』
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Happy Mothers Day
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2007-05-13T13:00:32+09:00
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ボーカンシャ
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感じるの
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人の住むところ(2)
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2006-06-15T11:55:00+09:00
2006-06-15T11:52:36+09:00
2006-06-15T11:51:06+09:00
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旅
<前回よりの -つづき->
探していない自分に気づいた。もうかれこれ数時間も窓の外に流れる風景は変わり続けているのに。そういう自分がまだどこかに残っていたことにもビックリする。
そこは砂漠のど真ん中。しかし砂漠という言葉から真っ先に連想されるどこまでも続く砂丘ではなく、ゴツゴツした岩山があちこちでげんこつを振りかざし、その隙間には立ち枯れた木に混ざって草花も咲いている。うちわのような手のひらを広げた背の低いサボテンたちもあちこちにはいつくばり、生きているのか、死んでいるのかさえわからないような色をした雑草が地面をおおう。木だってはえている。それには葉っぱもついてはいるけれど、色艶が悪くみずみずしいと言う言葉からこれほど縁遠い植物を見るのも初めてだ。それでもみんなが生きようとしている。力がみなぎっている。そこから感じ取ることができるのは死ではなくて生にかけるひたむきなエネルギーだった。
それでもやはりそこは砂漠であることに変わりはない。
探していなかった。そう、やはり僕はカセットコンロの「カチ、カチ、カチ……」といった音がよく似合うひ弱な都会のキャンパーに過ぎない。
それでも「車をとめてくれ!」と叫びたくなる衝動を何度も何度もおさえていた。それほど砂漠はエネルギーと魅力に満ち溢れている。そこは何万年もの間、気の遠くなるような数の生を飲み込み土深くにそれをたたえているからなのかもしれない。何万年もにもわたって風のみに削られてきた山肌がなまめかしいカーブを描く。その肌に触れてみたい。そこに一日中腰を下ろして風の音を聞いていたい。
砂漠にはそんな魅力がつきまとう。そんな妖しい微笑みにそそのかされて命を落とした人もまた多いのだろう。
間違いなく地球上で一番苛酷な環境のひとつに数え上げられるであろう砂漠。そこには生気が満ち溢れ、生きる人もまたいる。
コンクリートの砂漠。そして砂漠。
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人の住むところ(1)
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2006-06-01T13:09:57+09:00
2006-06-01T13:05:56+09:00
2006-06-01T13:05:56+09:00
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旅
「にーちゃんな、なんばしよっよね(お若いのないをしてるんだい)?」
仕事を終えてから出発したキャンプ。キャンプ場に着い時にはもうとっくに午後十一時をまわっていた。手際よくテントを張り、飯の仕度に取りかかる。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」
闇に消えていく小さな音。その音に反応でもしたかのように隣のテントからオッチャンが出てきた。そうは言っても、たぶんいまのぼくとそう変わらないくらいだったと思う。それだけ僕が若かったということ。川から鍋に水をくんできてレトルトのご飯とカレーを放り込みカセットコンロの火を点けたところだった。
キャンプが好きだ。
キャンプが好きだからホームレスになったわけではなく、僕の場合もご多分にもれずホームレスになったからキャンプ生活を送っていただけ。約六年間を都会のキャンパーとして送った。それは長いと言えば長く、短いと言われればそう言えないこともない。どうだっていい。
そんな暮らしをしていたせいか、それとも身体の奥深くに眠っているキャンパーの血が騒ぐのか、ここ数年どうしようもない習性を自分が持っていることを感じる。いつだって、どこにいたってそいつは頭をもたげてくる。なにかを探している。探したからといって<どう>なるというわけでもなく、するわけでもないのだけれどいつもキョロキョロしている。
止まらない。習性とは本当に怖いものだ。
マンハッタンを歩いていても、日本へ行っても、ヨーロッパをうろついていても僕の目はたえずそれを探している。
「どこかキャンプができそうなところはないかな?」
とりわけ木が目に入るとその感覚が鋭くなる。
「あそこは斜面だからよくないな」
「水はけが悪そうだ」
「今の季節はいいけど、葉が落ちてしまったら丸見えだな」
僕の中で木とキャンプは直に近い形で結びついている。
「ニューヨークでテントを張れる所は?」ときかれたら
「まず木を探してみるといい」、一瞬の迷いもなく答えることと思う。探せばまだある。もちろん私有地に属するのだけれど。それがブルックリンやクィーンズであればよりどりみどりだ。なんせ僕のホームレスの生活のほとんどは、ビルの軒下でもなく、段ボールでもなく、シェルターでもなかったから。もちろんそれらも一通り経験はしたけれど、やはりメインはテントだった。
(つづく)
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人の住むところ(1)
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2006-06-01T12:57:21+09:00
2006-06-01T12:57:21+09:00
2006-06-01T12:57:21+09:00
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旅
「にーちゃんな、なんばしよっよね(お若いのないをしてるんだい)?」
仕事を終えてから出発したキャンプ。キャンプ場に着い時にはもうとっくに午後十一時をまわっていた。手際よくテントを張り、飯の仕度に取りかかる。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」
闇に消えていく小さな音。その音に反応でもしたかのように隣のテントからオッチャンが出てきた。そうは言っても、たぶんいまのぼくとそう変わらないくらいだったと思う。それだけ僕が若かったということ。川から鍋に水をくんできてレトルトのご飯とカレーを放り込みカセットコンロの火を点けたところだった。
キャンプが好きだ。
キャンプが好きだからホームレスになったわけではなく、僕の場合もご多分にもれずホームレスになったからキャンプ生活を送っていただけ。約六年間を都会のキャンパーとして送った。それは長いと言えば長く、短いと言われればそう言えないこともない。どうだっていい。
そんな暮らしをしていたせいか、それとも身体の奥深くに眠っているキャンパーの血が騒ぐのか、ここ数年どうしようもない習性を自分が持っていることを感じる。いつだって、どこにいたってそいつは頭をもたげてくる。なにかを探している。探したからといって<どう>なるというわけでもなく、するわけでもないのだけれどいつもキョロキョロしている。
止まらない。習性とは本当に怖いものだ。
マンハッタンを歩いていても、日本へ行っても、ヨーロッパをうろついていても僕の目はたえずそれを探している。
「どこかキャンプができそうなところはないかな?」
とりわけ木が目に入るとその感覚が鋭くなる。
「あそこは斜面だからよくないな」
「水はけが悪そうだ」
「今の季節はいいけど、葉が落ちてしまったら丸見えだな」
僕の中で木とキャンプは直に近い形で結びついている。
「ニューヨークでテントを張れる所は?」ときかれたら
「まず木を探してみるといい」、一瞬の迷いもなく答えることと思う。探せばまだある。もちろん私有地に属するのだけれど。それがブルックリンやクィーンズであればよりどりみどりだ。なんせ僕のホームレスの生活のほとんどは、ビルの軒下でもなく、段ボールでもなく、シェルターでもなかったから。もちろんそれらも一通り経験はしたけれど、やはりメインはテントだった。
(つづく)
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火の用心
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2006-05-27T15:19:01+09:00
2006-05-27T15:19:01+09:00
2006-05-27T15:19:01+09:00
seikisakai
旅
「……」
こんな気持ちでしばらく歩き続けている時がある。それはニラ玉を食べた後の感覚にも似ている。奥歯の間にニラがはさまっているような。
なにをやっても今ひとつ集中できない。「ニラがはさまっている」、「奥歯にはさまっている」、とわかっているのであればまだいいのだけれど。
車を停めイグニッションを切る。
「おっといけねー」、携帯を探し始める相棒。
外も車内も華氏百度(摂氏二十八度)に近い暑さで、ボンネットの上に冷凍ピザを置いておけば数分後には間違いなく食べごろになっているだろう。そんな中で「ゴソゴソ、ゴソゴソ」がまだ続く。たとえそれが生ぬるくても、空気が動いているということはやはりありがたいことだ。そんなことを考えている間に長い時間が過ぎてしまったような気がする。時計を見る気すら起こらない。空気が肌にまとわりつきはじめた。
「あった、あった。OKだ。もう大丈夫」
店内は寒いくらいに冷房が効いていた。自動ドアを背にして数歩。彼の動きが一瞬止まった。気づいたみたいだ。以心伝心。二人ともやっと頭が正常にはたらきだしはじめていた。
「いけねー」
昨日、相棒は車の中に鍵をつめ込んでしまった。
「エーッと、たしかココだよな?」
途中から気にはなっていた。手が自由になった途端にポケットの中をまさぐってみる。硬いものが指先に触れてひと安心。後始末もOK。
「なんだペーパータオルが切れてるじゃないか」
炎天の下で自転車に乗っているので髪が悲惨なことになっている。濡れた手でなんとかまとめて外に出た。紙なんてなければないで平気なもんだ。もう汗が噴出しはじめている。自転車のロックをはずすのすらもどかしい。
スピードが出はじめた自転車は軽快に角を曲がった。
「……」
数ブロックを走ると赤信号に引っかかり木陰に身を寄せる。どこからかあの感触がにじみ出てきた。ニラ玉を食べた後の感触が。落とした目の先でチャックが大口を開けて笑っていた。
一番大切なことはなにをおいても最初にすること。ほかに気をとられないこと。
自分の中で「<その時>なにが一番大切であるか?」、その判断を瞬時に下すことのできる人ほど失敗は少ないはずだ。簡単なことのようであるけれど、なかなか難しい。僕程度の人間は失敗をくり返しながら、百からひとつのことでも学ぶことができれば上出来のほうなのだろう。
なにをやっても学ぶことができるのは得なようでもある。そう考えることにしよう。学ばないよりはましだ。そうでも考えていなければやっていられない。
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まだまだ遠い
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2006-05-25T13:29:35+09:00
2006-05-25T13:29:35+09:00
2006-05-25T13:29:35+09:00
seikisakai
アメリカ
ort Worth 186mile”
車で移動しているとこんな文字が飛び込んでくる。そこではいつも引き算がなされ、あたりまえの話だけれど車が進むにつれて数字は減っていく。ただ、うっかり目的地を通り過ぎてしまってもマイナス表示になることはない。近郊でのマイナス表示はかなり喜ばれると思うのだけれど。
「あと○○マイル、×時間か……」と、いやでも考え、計算し、時間のこと、疲れ具合、休憩のことなどあれやこれやと考えてしまう。
起点が違うのだからハイウェイ上にある表示を足し算にすることはできないのはわかっている。それでも引き算は苦手だ。いっそのこと、
<全然>、<まだまだ>、<そろそろ>、<あと少し>という風に変えてくれないものだろうか?引き算が苦手な人は結構いるはずだ。
加えて僕の場合はそのマイル数に1.6をかけなければならない。かなしいかな数字が飛び込んできた瞬間にかけ算がはじまる。キロに換えなければいまだに「ピン」とこない。引き算はきらいなのだから「ピン」となんてこなくてもいいのにあとひと手間かけてしまう。そこがまたかなしい。
この国ではいまだに長さ、重さ、容積の単位を世界標準(?)にあわせない。と、言うよりも「あわせることができない」らしい。十数年前に聞いた話では、
「今、これをすべて換えるとなるとアメリカの国家予算の数年分の出費になる」ということ。中でも軍事関係に占めるものが莫大な額にのぼるらしい。
そんなこととはまったく関係のない次元で生きている。それでもやっぱりこの尺貫法は「ピン」と来ない。大好きなビールですらいつもとは違うサイズを買う時は
「さて、どっちを買ったほうが得だろう?」、とoz(オンス)をccに置き換えねばならず、そこで一瞬だけ頭も身体も別の動きを失ってしまう。
温度の計算となるともっと大変で、かけ算あり、わり算あり、引き算ありで、一瞬だけ寒いのか、はたまた暑いのか感覚までが停止してしまう。不快な温度というのは暑い、寒いの二つしかこの世にはないのに「それがどの辺に着地するのか」見極めずにはいられない。数字に感覚が振り回される始末。しかも持って生まれたものとは違った単位を示された場合には、そこで処理までしなければいけない。
この度量衡変換に振り回されているかぎり、アメリカ人的な発想をすることはおろか、その思考を理解しようなんてのはまず無理な話。僕は正真正銘の日本人であり、それでいい。まぁ、数の論理でいけばこちらの方が世界標準ではあるのだけれど、やはりこの国で暮らすのにはかなりのハンディとなる。むこうさんは「こっちが標準だ」と思っているのだから。そもそも「唯一絶対のものさしを持とう」なんて考えるところに無理がある。あちらにも、そしてこちらにも。はたして標準、基準というのはそこまで必要なものなのだろうか?
ものさしはたしかに便利ではある。それを使えば話は簡単だ。それでも、なんでもかんでもものさしではかる必要があるのだろうか?周りを眺め回してみると、すべてがすべて、と言ってもいいほどにものさしに引きずりまわされている。必要でないものまでも、とりあえず「はかってみなくちゃ」とものさしをあてなければ納得できない自分がいる。ものさしを使っているつもりが実は振りまわされていることのほうが多かったりする。
人の数だけ存在するものさし。それを統一することは、なんでもかんでもそれをあててみることは必要だったのだろうか?暑い、寒い。遠い、近い。好き、嫌い。かっこいい、かっこ悪い。美味い、不味いではだめだったのだろうか。僕たちが好きな、<そこそこ>や<ぼちぼち>では通用しないのだろうか?通用することがそこまで大切なことなのだろうか?ものさしににあててみなければ人々は納得すら出来なくなってしまったのだろうか?伝える技術が低下してしまったのだろうか?
無数の点は遠くから見れば線になり、線からは無数の点を作り出すことが出来る。
最近では、アメリカのものさしは決していいことではない場合が多い。「俺が正義だ」というものさし。世界に通用することのないものさし。ただ、その半面でいまだにに尺貫法を使っているこの国は世界に「ものさしはひとつではない」ことを皮肉にも教えてくれる。
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経済対策
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2006-05-21T00:30:00+09:00
2006-05-21T13:04:48+09:00
2006-05-21T00:30:24+09:00
seikisakai
アメリカ
「ほんとにものわかりのいい人たちだ」
そんな声がどこからか聞こえてくるようだ。
150年くらい前に門はたたかれ、そして開かれた。いや、こじ開けられたと言った方が正確かもしれない。果たしてそれがよかったのかどうか。わかっているのは、それ以来 -ほんの数回の例外はあるけれど- ごり押しをはねつけることが出来なくなっている。
僕がアメリカに来た1980年代なかば、それは日本のバブル経済が最高潮に達した頃だった。一方、この国の経済はどん底。
「おいおい冗談だろ。0.××%かよ」
耳を疑ってききなおしたことを覚えている。銀行預金の利息の話。世間では対米貿易黒字国の筆頭として僕の母国はたたかれていた。
「もっと規制を緩和せんかい!」
「内需を拡大したほうがいいんとちゃうの?」
門はたたき続けられる。そんな恐喝まがいの外交が今でもあちこちで繰り広げられている。それこそが彼の国の人が言う「強いアメリカ」の姿なのだろうか?
一方、母国のほうでは、小泉さんをはじめとする人々が<協調>の名のもとに一肌も、二肌も気前よく着物を脱いでいってくれるのだから「よっ、色男。日本一!」とかけ声のかいもあるというものだろう。
ほんとうによくやってくれていることと思う。日本人の肌に合わないこと、文化になかったことも含めて。たしかにそこからなにかが生まれることはあるけれど、同時になにかを失う。そのどちらが大切か時間がたたないとわからない。わかっているのは器に入れることの出来る水の量は決まっている、ということだけ。昔から日本人は形を変えて吸収するのがうまかった。それは決して鵜呑みにしてこなかったということの裏側でもある。今はどうなんだろう?
それでも日本でアメ車が爆発的に売れる日は来ないと思う。ちなみに、僕が今同乗させてもらっている車の燃費はがガロンあたり12マイル(ハイウェイ走行時)。1マイル=1.6キロ、1ガロン=3.8リットル、1ドル=112円、ガソリン1ガロンあたりの値段=3ドルとすると、リッターあたり5キロ強。100円で走ることのできる距離は6キロ弱ということになる。単純に計算すると僕の生まれ故郷大牟田市から福岡市まで(約80キロ)のドライブを楽しめば片道1300円強。もしかしたらこの値段を安いと見る人が今では増えているのかもしれない。
「修理してからさー、燃費がよくなったんだよなー」、相棒は機嫌がいい。なぜか憎めない人。
こういう僕もこの旅では内需の拡大に協力したり、また多くの恩恵にあずかったりしている。
モーテルやツーリストインフォメーションでは複数枚の地図をもらう。
モーテル備え付けの石鹸はまだまだ使えるのに後に残して次の目的地へと向かう。
コンビニやファーストフードへ行けばナプキン、塩、コショウをはじめ、マヨネーズ、マスタード、ホットソースをたんまりといただいてくる。
冷蔵庫のないモーテルではビールを冷やすために湯水(?)のように氷を使う。
数え上げたらきりがない。内需の拡大のなされていない国で旅をするのは、身の回りのことを考えてみただけであれやこれやとやることが増えてしまう。それは前回のヨーロッパの旅で実証済み。結果として真夏にあたたかいビールを飲むことに慣れてしまった。それはそれでおいしく、やはりアメリカで飲むのとはまた違った味がする。そして、たまに飲む冷えたビールのなんとおいしかったことか。
たしかに内需の拡大はその恩恵にあずかるものにとっては便利だ。アメリカでホームレスがまだまだ暮らしやすい理由のひとつとしてこれをあげることも出来るだろう。それでもこの言葉は「無駄づかい」という言葉がきれいな着物をまとっているのに過ぎない。
視点を変えてみればゴミのポイ捨てだって内需の拡大に貢献していることになる。それがゴミを掃除するという仕事を生み、雇用の拡大につながるのだから。
ヨーロッパで会った日本人がこんなことを言っていた。
「最近、短い旅行では下着をはじめかなりのものは使い捨てですよ。なんでも100円ショップでそろいますからね……」
いやいや、どんなにコピーがお家芸の日本人でもしょせん本家本元には太刀打ちできない。数日前、それを再認識させられる出来事があった。
「あ、もうこれいいや」
モーテルをチェックアウトする朝そんな言葉が耳に入ってきた。今まだ詰め込んでいた手が逆回転を始めた。かばんの中から次から次へとと洗濯物を放り投げる相棒。まだまだ使えそうなものばかり。まさに<放り投げる>という言葉がぴったりと来るようなやり方だった。またたく間に彼が唯一持っているかばんは小さくなっている。洗面所横には内需の拡大が広がっていた。冒頭の写真はその一部。
やはり年季と常識とスケールが違う。しょせん僕の内需の拡大なんておままごとみたいなもの。
先日、日本へ帰った折に母が妙なものを引っ張り出してきた。それは僕が幼稚園時代に使っていたモッキンだった。
「これ覚えてる?」
横浜に住む姉の家ではこうきかれた。指先は脱衣所にある足ふきマットを指している。なにかなつかしいような図柄だった。それは僕が高校のクラブ活動の時に使っていたタオルにまちがいない。
まだまだ内需の拡大はできていない。そのほうがいい。
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White, Red, Blue and America
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2006-05-18T12:34:00+09:00
2006-05-20T07:48:08+09:00
2006-05-18T12:34:13+09:00
seikisakai
アメリカ
「そういえば昔、祭日のことを『旗日(はたび)』と呼んでたな」
中古車屋のポールで翻るLone Star(テキサスの州旗)を見つめながらそんなことを考えていた。それにしてもてきサスほどここかしこで州旗見かけるところも珍しい。20年ほどの間にアメリカのほとんどの州を回ってきたけれど、唯一記憶に残っているのがこのLone Star。実はNYの州旗すら僕は知らない。
その国籍や立場とは関係なく旗を見上げる時、人はなにか特別な感情にとらわれる。それは愛であったり、確認であったり、希望であったり、絶望であったり、はたまた自分自身であったり。風になびく旗に同期して人の心にも波がたつ。一瞬ではあってもその象徴するものに心がつかまれる。
旗をかかげるジャンヌ・ダルク。百姓一揆のむしろ旗。明治維新の折には錦の御旗。とかく革命と旗は切っても切れない。かつて希望そのものであったものが、時を経て憎悪の対象となることも珍しいことではない。旗は人の心をつかむからこそ利用されることもある。旗は単純であるに越したことはないだろう。人々の脳裏にいつまでも焼きつく。権力者にとって旗は人の心を操作する道具に過ぎないのかもしれない。日本には<親方日の丸>という言葉もある。日の丸は親方になった。今でもそうなのだろうか?
日の丸をしょっている気はまったくなく、そのために死のうなんてさらさら思わない。セプテンバー・イレブン以降、街中に一段と増えた星条旗を眺めながら僕はひとりさめた気分でいた。
「日本でこんなことやるのは右翼くらいだよなー」
アメリカという国、そこに暮らす人々は好きだ。そのくせ日本に対する思いはこの国に来てから確実に上がっている。
人は色分けすることを好む。
「あいつはアカ(共産主義者)だ」、とささやく人たち。
「いいやつだけどクロ(黒人)だから」、と白人たちの酒の席での会話。
「○○はシロ(潔白)だ」、と自信ありげな警察官。
「××先生は灰色(あやしい)ね」、と噂する関係者。
「この黒星はいたいですねー」、と実況中継のアナウンサー。
この世にはそれこそさまざまな色がある。それなのに使われるのはほんのわずか。どうやら僕たちはことをできるだけ単純化するのが好きみたいだ。
アメリカ、イギリス、フランス……。白、赤、青。このトリコロールを国旗に使う国は多い。この三色は旗の中でも最高の人気コンビネーションに違いない。そしてこの色たちにはなにか権力の象徴のような香りがつきまとう。誰が最初に使ったのか?長い歴史の中で「使うにたる」という感触を得てきたのだろうか?それとも単なる感情表現に過ぎないのか?
色を見て感じる。そこに国の壁はなく、ただ人がいるそれだけ。あとからの理由付けはなんとでも出来る。ちなみにアメリカでは、白=純真、赤=勇気、青=正義ということらしい。このうちのどれが今でも賞味期限内なのか。「国家」としてのアメリカ。
三原色のひとつ黄色がかけている。
それはどうしても<強国>(先進国と呼ばれることもある)の旗しかに浮かばない回路に頭なってしまっているせいだろう。これは実は恐ろしいことだ。そんな中で、かろうじてドイツが黄色を使っているのを思い出す。
調べてみると、これが結構この色も使われている。しかもなぜか南アメリカ、アフリカなどにある熱い国々に多い。その黄色を見て人々は太陽を感じるのかもしれない。そこに希望を見出すのかもしれない。先入観なのか、旗に使われる黄色からはなぜか白以上に純粋なものを感じてしまう。スパニッシュライスも黄色だ。久々にカレーライスが食べたくなってきた。
あのLone Starを見上げながらテキサスの人は何を感じているのだろう?
それは彼らテキサンの誇りなのかもしれない。
Lone Starを見たとき僕が真っ先に思い浮かべるのは、ビリー・ギボンズ、スティーヴ・レイとジミー・ヴォーン兄弟、ジョニー・ウィンターらのギタリスト達。この地は数々の名ギタリストを生んできた。そしてそのルーツとなるブルーズ。旗から拒絶されてしまった人々はギターを抱いて歌った。歌い続けた。それでもトリコロールに利用され続けた。だが彼らはやめない。彼らにとってトリコロールはなんの意味も持たなかったに違いない。
年老いた旗は人々をしばってしまう。
心から生まれた音楽は人々の心を解放してくれる。
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Pawn Shop
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2006-05-15T11:29:00+09:00
2006-05-17T12:58:23+09:00
2006-05-15T11:29:46+09:00
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旅
今日は「やっと」ダラスからヒューストンへと動くことができた。長距離を車に乗っているとこの国のほとんどが空っぽであることを確認できるのと同時に、世界の基本はやはり農業であることをあらためて印象付けられる。
走れども、走れども農場と牧場しかない。
ダラスに着いた初日に思ったこと。それは
「Pawn Shop(質屋)が多いな」、ということだった。
郊外に出るとあそこにも、ここにもPawn Shopの看板を見つけることができる。そしてその駐車場にはどこも古びたトラクターや農機具が並ぶ。この国でも農業に従事するということは決して楽なことではないことが目から飛び込んでくる。Farm Aidという運動がある。貧困に苦しむ農業従事者を救済するための音楽活動。たしかウィリー・ネルソン、ニール・ヤングが中心となって立ち上げたはずだ。
質草となった農機具を引き出すことのできる人はどの程度いるのだろう?農場を捨てた(捨てざるを得なかった)人々はこの十五年ほど南部への進出が目立つ製造業の工員として生きていくしかないのだろうか?
質屋という形態はこの地球上で最も古い金融方法のひとつではないだろうか?そして多くの人はは「借りる」ためではなく「売る」ためにその玄関をくぐるのではないだろうか?質草を引き取りにくる人の割合はどこの国の平均値もおなじくらいではないのだろうか。そんな風に僕は感じる。質屋に並ぶ品々はどこか悲しい。
ホームレスの一歩手前の頃、僕も何度かPawn Shopの玄関をくぐった。決して自分の手元に帰ってくることのないであろうものと別れを惜しみながら。一枚の紙切れ、そしていくばくかのお札を手に数分前に歩いた道をを戻っていく。そしてそのお札もアッという間にどこかへと消え去っていた。
お世話になったミュージシャンがいる。失礼な表現かもしれないけれど、その人もホームレスと普通の人の間をいつも微妙に行ったりきたりしていた。そして一所懸命にこちら側に食いついていた。お金がなくなるといくつか持っている楽器のひとつをPawn Shopに持ち込む。そのお金で僕にビールをおごってくれたことだってあった。掛け値なしのいい男。
彼は手元に残った楽器を持ってストリートに立つ。警察に追い立てられればそこの管轄外の街角に立ち演奏を続ける。道行く人々が置いていってくれたギャラで質草はまた彼の手元に帰ってくる。そんな生活を続けていた。その楽器はまるでPawn Shopと彼の間でキャッチボールのように行ったり来たり。しかし絶対に質草を流すことはない。ミュージシャンであることの誇りがそれをさせていたのだろう。決して投げ返されることのないボールの中でいつも彼の元へと戻ってくるボール。確実に投げ返されてくることがわかっていたからこそ彼はボールを投げ続けた。キャッチボールの相手は実か彼自身だったはずだ。
キャッチボールはどちらかが「やめよう」といわない限りいつまでも続く。それでも返ることのないボールを放るよりどれだけ素晴らしいことか。何百球もの無駄球を放り続ける人がこの世にはいるのだから。そしてそれを放らざるを得ない人だってたくさんいる。
彼が見せる顔はいつもいい顔だった。目の奥にはいつも光をたたえていた。
トラクターを手放さなければならない農業従事者よりも、たとえ貧しくとも彼は幾倍も幸せに違いない。
去年の春先だった。電車の中からホームに立つ彼の姿を見かけた。あの楽器を手にして。
○この記事を読まれてなにかを感じられた方。
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僕の『スーパーサイズ・ミー』
http://seikisakai.exblog.jp/4664756/
2006-05-14T08:18:00+09:00
2006-05-14T08:43:45+09:00
2006-05-14T08:18:12+09:00
seikisakai
旅
実はこのごろ昔のことを思い出すことがよくあるそれはホームレスをしていた頃のこと。食生活があの頃と似ているからかもしれない。そうは言っても多くの人が瞬時に思い描くであろう<ゴミ箱をあさる>というものではなく、自炊(?)という食生活。しかしよく考えてみるとあの頃は週に一度はステーキを食べていた。「身体は資本だ」の信念のもとに。それを思えば今は「ホームレス以下」と言えないこともない。
旅での一番の楽しみであり、そして頭痛の種。それが食事だろう。行く先々で様々なものを口にするのはやはり楽しい。その地方でしかとれない物、産地であるからこその味わい、独特の料理法などなど。
「これがアレと同じ料理か!」、とびっくりすることもまたよくある。
その一方で三度三度の外食というのは飽きがくるし、リラックスすることもできない。その上、食費はかさむ一方。長い旅にはあまり向いていないように思う。モーガン・スパーロック監督の映画『スーパーサイズ・ミー』ではないけれど、三度の食事をマクドナルドで取り続けたりすると身体が栄養の偏りを感じ取ってしまう。そのくせ1日に15ドル程度かかり、単純に計算しただけでもひと月に450ドルも食費がかかってしまう。
この『も』という箇所は人それぞれで、中には『しか』という人もいることだろう。しかし僕にとってそこはいつまでも『も』であり続ける。何の感動もない食事の結果としてこの額はまったくおもしろくない。
旅に出て4日目にしてクーラーボックスを買った。今はまったく火を使うことのない自炊生活をほぼ毎日している。自炊生活などと言えば大げさに聞こえてしまうかもしれないけれど、ただ切っているだけ。
つい先日まではほとんど自炊をしていた。それがたった3日ほど途絶えただけでこんな感情が出てくるとは。料理を作る楽しさを再発見していた。洗面所に立ち、ナイフでトマトを切りながら鼻歌を歌っている。料理を作ること、それが自分の口に入ること、出来上がりの姿かたちを想像しながらなんだか楽しげな心持になっている。
「食べることも楽しいけれど、作ることも楽しいんだなー」。家にいてはなかなか発見できない感情だ。
トマトを切るナイフを見つめながらホームレス時代の後姿が浮かんでくる。それは冷やそうめんを食べるためにカッターナイフでネギを刻む自分だった。人間の基本欲のひとつ<食>。それに付随するものとして<作る>欲、それを<楽しむ>欲も人にはあるみたいだ。ただ単に食べることの連続ではなぜか満足することができない。ましてや自分や、それに近しい人が作った料理は同じものを毎日口にしても決して飽きることがない。こういった『スーパーサイズ・ミー』なら僕にもできそうだ。
ヨーロッパに向けて旅立ったのもちょうど去年の今頃のこと。そこでも中心は自炊だった。リュックを開けるたび鼻腔に入り込んでくるチーズの匂いも今となっては懐かしい。オリーブオイルのべとべとしたビンだってそう悪いもんじゃなかった。行く先々で荷物をおろしてから真っ先に飛び込む場所はいつもスーパーマーケットだった。イタリアのキュウリの食感は今でもよみがえってくる。
なぜかまだダラスにいる。土地柄のせいかスーパーマーケットに並ぶアボガドの値段はニューヨークの四分の一程度しかしない。あぁ、わさび醤油で食べながらビールを飲むのもいいかもしれない。もうそろそろ醤油を買ってしまいそうな気がしてきている。たしかヨーロッパで醤油を買ったのも十日目の頃だったはずだ。
それでも今日は週に一度だけの休日。今夜はメキシカン料理でも食べに行くことにしよう。
こんな日常を送りながら「人生はほんとに旅なんだなー」と思ったりする
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南部なまり
http://seikisakai.exblog.jp/4612317/
2006-05-09T13:00:00+09:00
2006-05-09T13:02:45+09:00
2006-05-09T13:00:27+09:00
seikisakai
旅
1週間と少しご無沙汰してしまいました。
先週は「完璧」と言ってもいいほど最悪のネット環境で、メールのチエックすらKinko‘sで一度やったのみ。便利なことに慣れ、それが当然となっている自分を省みた一週間でもありました。
昨日までシカゴ。ここに6泊7日です。当初の予定が4泊4日なのでもうすでに遅れを見せています。先が思いやられるのですが、そんなことはあまり考えず一日、一日をできるだけ充実させていくことを積み重ねていくつもりです。またストレスがたまる事柄も起こり続けています。それもほんの少しだけ時間をあげれば確実に自分自身の血となり、肉となっていくんだなぁ、と感じさせられます。一人の人間にとって時間とは限りあるものなのですが、それは僕たちがいきていくなかで
とても重要なパーツを占めているようです。
これから南部そして西部各州を車で回ります。時間はかかるけれど「旅は陸路」と言い切ってしまう僕にとっては願ってもないこと。こういった環境化にいるので自然しばらくの間は更新頻度も落ちると思います。内容も旅にまつわること、それをヒントに考えさせられることなどが多くなることでしょう。それでもまたここに自分の足跡を少しだけでも残していきたい。
昨夕シカゴを発ち、今朝アルカンサスからテキサスへ一歩だけ踏み込んだ町テキサカーナに到着した。もちろんドライバーはずっと起きていたわけだけれど助手席に座っている僕は夢と現実を行ったりきたり。
懐かしいアクセントで眼が覚めた。
薄明かりのガステーションでコーヒーを片手に二人の男がおしゃべりをしていた。
南部訛り。
少しだけねばっこいこのアクセント。慣れなければかなり聞きづらいが独特の雰囲気を持っている。その言葉がかもし出す雰囲気。それは南部の風景ともマッチして人にやさしい。十年ぶりのテキサス。そこは相変わらずゆるい空気が肌にまとわりつくところだった。こんな場所に来ると土地が、気候が人を作ることを実感させられる。そしてその産物がまぶしくなってくる。
「移動はすべて車」と変更になったとき僕は思わず持ってきた荷物を見てしまった。飛行機での移動を言い渡されていたので「できる限り身軽に」ということで4週間分の荷造りを済ませていた。
荷物。それはこれからも増えていくことだろう。仕方ないことかもしれない。それでも
「増やさないように」
これだけは忘れずにいたい。僕にとってしょうものは少ないに越したことはない。
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おしらせ
http://seikisakai.exblog.jp/4532357/
2006-05-01T11:49:06+09:00
2006-05-01T11:49:06+09:00
2006-05-01T11:49:06+09:00
seikisakai
ボーカンシャ
出先でのネット環境がまだわかりません。更新の頻度が落ちてしまうことになると思われます。
せっかくお越しくださった方には申し訳ありません。
できる限り更新していきますのでよろしくお願いいたします。
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